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愚息の独り言「幼年時代の旅行 第7話 ベトナム」


愚息の独り言
「幼年時代の旅行 第7話 ベトナム」

2013年10月4日



海の様な広い川幅が徐々に狭まってくる朝もやの中、サイゴンの街が突如現れた。
海からサイゴン到着までずいぶんと長かった。

あの5歳の可愛いノンちゃんがここサイゴンで降りるというのをその時突然聞いた。彼女は在ベトナム大使の娘だそうだ。お母様は若く美しい方でした。ご主人もきっときっとお若いエリートだったんでしょう。赴任したばかりだったのでしょうか?挨拶はしていただいたが残念ながら公邸へのご招待はありませんでした。

ノンちゃんの兄上のような10代半ばの青年が(あるいは大使館の人?)サイゴン市内を案内してくれた。よくしゃべるお兄さんで、心遣いは有り難かったがガイドブックを買えば必要なかったような気も?

町のあちこちで祀られていた仏教の僧侶は、なんでも昨年ガソリンをかぶり焼身自殺を遂げたとかで、当時のゴ・デイン・ジエム大統領が著名なカソリックで、仏教徒が迫害を受けていた事に対する抗議で行ったという。その時数十人の仏教僧がその僧侶を取り囲んで自殺を止めに入る人達を阻止したらしい。

その翌年、新政権となり、ズオン・バン・ミンとグエン・カーンの2人が何度も入れ替わって大統領になった。それにしてもやるときはやるんだなあ~と思いながらも当時の僕にはピンとこなかった。今考えると大変な出来事なのだが、それよりもその焼身自殺をした人間が英雄扱いされている事の方にびっくりしていた。
僕はいつの間にか人の死に対して感情が麻痺してしまっているいやなガキだった。

町は香港もサイゴンも物乞いする子供たちが多く、面倒臭く思えていた。
我々の漁師町は貧しいが物乞いする人はおらず、むしろ食べ物は余っていた。ただサイゴンも食事が美味しかった。物乞いする子供達も美味しそうな物を食べていた。しかも町は埃っぽかったが人は清潔だった。町並みも洋館のようで香港のモダンビルに対して風格の有るフランス式の建物が多かったが、サイゴン陥落時には相当壊されてしまったのだろう。僕はその後何度もベトナムに行ったが昔の町の方が格好良かった。

当時「べトコン」と言う言葉が流行っていた。フランスにもアメリカにも中国にも勝利した民族。38年間(多分)も戦い続けた戦争の専門家ベトナム・コンバット。その北ベトナムを仕切っていた将校には終戦を認めない(情けない日本政府に見切りをつけた?)旧日本兵が多かったと当時は言われていた。その事は日本中、小学生でも知っていた。デマだとしたら相当なもんだ!

フランスのドゴール大統領はホーチミン率いる新しいベトナムを最初に独立国として認めた。サイゴンのベトナム人は皆良い人に見えた。しかしフランスでは逆だった。教室で何か無くなると決まって犯人はベトナム難民の子だった。

いよいよベトナムを離れシンガポールに向かう





【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。



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